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風月無尽の無何有の郷

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2013/5/1 松風亭 雅山

<<< 風薫る五月 >>>


青嵐 さだまる時や 苗のいろ


爽やかで色鮮やかな嵐雪の句ですが、福与かで心地佳き南風にそよぐ青葉若葉が陽光に輝き映じる様は、正に、青き嵐で御座りまする。


薫風自南来

殿閣生微涼



中唐から晩唐にかけての時代の柳公権の転結の句(起承の句は文宗皇帝)ですが、この作品も昔から大好きです。正に、(季語的には初夏のようですが)季節感溢れ、素晴らしい句です。



まことに、風薫る五月、至福の季節で御座りまする。


新たな生命の息吹を感じます清々しい新緑の『新』ですが、この躍動感溢れます『新』を強調すると『維新』となります。


文王は、詩経の中の雅、雅の中の大雅、大雅の中の正大雅の冒頭に位する一篇ですが、その中に、維新という言葉が出て参ります。


文王在上

於昭于天

周雖舊邦

其命維新


正に、『其の命、維れ新たなり』でして、維新の『維』は意味を強める助字であります。 明治初年の改革が、王政復古の理念に基づく改革であることを示すために、この句から借用したものです。


古典好き・漢籍好きの私には嬉しい限りで御座います。


殷の神聖政治に対しまして、周は礼楽政治で、巫師に代わって礼楽の時代となります。農業指導者の王は礼楽指導者も兼ね、現実的な農業社会となります。


殷に比べまして、現実的になりますので、神と人間の距離が離れます。 殷は、神人共生、神人共食と言われ、恍惚状態となって神と御一緒すべく、兎に角、お酒をとても頻繁に沢山飲んだようです。


周と違い、神に近いですので、空想力も凄く、青銅器の文様にそれを見ることが出来ます。 陳舜臣が、このようなことを記しておりますが、大変興味深く思います。


神と人間の距離も、潜在的に予てより興味の深いテーマの一つで御座います。


さて、我らが世界の中村大先生のファーストネームが維男様ですので、正に、男の中の男;学者の中の学者の感じで御座いましょうか。


マルチ/メニーコアの維新におきまして、TOPSが維新の獅子児になりますことを祈りたいものです。


元寇に際して、時宗の参禅の師匠であります仏光国師が、時宗の参禅修業後の覚悟に対して、『真に獅子児なり、能く獅子吼す。』と悦んで言いましたように。


風薫る五月、TOPS羽搏く五月で御座います。 マルチ・メニーコア幟(マルチ・メニー鯉幟)の如くに、・・・


さて、五月も末になりますと、少し汗ばみ、特に、夕暮れ時などは、心なしか物憂い季節にもなります。


薫風と同様に、季語的には、初夏の花茨ですが、好きな蕪村の句を一つ掲げておきます。


愁いつつ 岡にのぼれば 花いばら


叶わぬ恋に愁い、心乱し、身を窶した乙女が晩春のアンニィイな夕暮れの丘に、・・・


文人画家でもあります蕪村の面目躍如たる絵画的な歌で、浪漫溢れる詩情を湛えておりますが、この句を見た瞬間に、勝手に、夕暮れ時の詩と決め付けました。 詠んだのでは無く、見たのです。


風薫る五月も、やはり、夜には闇が待っております。皐月闇(五月雨の時の昼の暗さを表すという説もありますが)という言葉も御座います。 辻占、逢魔時、・・・光と闇、・・・季節に敏感な私たち日本人の感性の基底にあります地下水脈的なものを感じずにはおれません。


再び、陽の世界に戻して筆を置くべく、拙い句を一つ


宮人の 紫匂う 春の古都 奏でる調べは 千歳を越えし

TOPSコアが絶え間ない非連続・破壊的イノベーションにより、千秋万歳でありますことを祈念致します。



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