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風月無尽の無何有の郷

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2016/9/1 松風亭 雅山

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月日の流れは真に速く、季節は心尽くしの秋で御座ります。


今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな


折口学を継承する西村 亨 先生(2013年10月、2014年10月にも西村 亨 先生にふれました)は、有名な上記の素性法師の歌のように、


秋は、結婚の約束を男が果たす時季であるが、待っても男が来ないことが多く、これが物悲しい秋としての季節感の固定に繋がったと言われております。


積年のつれない恋に身を窶した女性たちの感傷的でやるせない想いが、正に積りに積もって、積分された形となったので御座いましょうか。


感傷的で深く思い患う秋になったとの由で御座います。


そして、下記の古今集 秋上の題しらず、よみ人しらずの歌のようになったと書かれております。


木の間より 漏りくる月の 影見れば こころづくしの 秋は来にけり


万葉集の秋が、総天然色で(敢えて言えば)体育会系で明るいのに対し、


平安王朝の後期には、感傷的で物悲しいモノトーン的な大人の色の秋になった訳が分かったような気が致しました。


十代半ばに、初めて、奈良と京都を連続的に旅して、誰かに感想を聞かれた際に、間髪を容れずに、


奈良は神秘的、古代的(やや中性的)な魅力があるのに対し、京都は奥深い妖艶さを醸し出し、浪漫的で女性的な魅力があると応えたのを昨日のように思い返します。


浪漫溢れます心尽くしの秋に浸りたく存じ上げます。



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