スペシャルコンテンツ >> 顧問コラム >> 『風月無尽の無何有の郷(松風亭 雅山)』


風月無尽の無何有の郷

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2015/4/1 松風亭 雅山

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十代後半に、芭蕉における運命自然について、思いを巡らしていた時に、行きついたのも、やはり、昨年の暮れ、先月とふれて参りました

森三樹三郎先生の「無」の思想 老荘思想の系譜で御座いました。


私は、足掛け半世紀、荘子に深く傾倒し、熱烈なる荘子の信奉者でありますが、芭蕉が荘子に深く傾倒しながら、やがて違った方向に向いてゆく様を森三樹三郎先生は、

宣長との対比で素晴らしい描写で綴っておられます。


『両者の老荘思想にたいする反応についてみると、宣長は老荘に反発を見せながらも、無意識のうちに荘子の運命自然に近づき、

芭蕉は深く荘子に傾倒しながら、荘子の饒舌をななれて、言葉を惜しむ芸術の世界をひらいた。そのとりあわせには、なかなかの興味があるといえよう。』


ここでは、芭蕉の荘子への傾倒が絶頂だったころの件を少し記してみたいと思います。


季節は、この春爛漫の花、花、花の四月から半年後の秋、野ざらし紀行の中の富士川に差し掛かる場面で御座います。


『さて富士川のほとりまできた芭蕉は、三歳ばかりの捨て子を見てあわれに思い、たもとから食物を出してあたえ、そのままに通りすぎた。 「いかにぞや、

汝ちゝににくまれたるか、母にうとまれたるか。父はなんぢを悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯是天にして、汝が性のつたなきをなけ。」』


この場面で、何故か、いつも横山大観の無我の絵が思い起こされます。



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