スペシャルコンテンツ >> 顧問コラム >> 『風月無尽の無何有の郷(松風亭 雅山)』


風月無尽の無何有の郷

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2015/1/1 松風亭 雅山

<<< 修験道 >>>


新春を言祝ぎ 謹んで新年の御挨拶を申し上げます



千秋萬歳


不失花


題目の修験道の神秘さにも、予てより興味を惹かれております。

下出積與は、道教と日本人の中で、修験道について、次のように記しております。

『修験道とは、ちょっと正体のはっきりしない宗教である。

近世では一般に修験宗といわれており、それ以前は、験者とか山伏(臥)の宗教活動があるものの、

別にそれらが修験道という名称で統制されていたわけではない。

このいわゆる山伏の活動は平安時代の中期以後からあらわれはじめ、

中世・近世と時代が下るにつれて活発になっていくが、いったい武士なのか僧侶なのか、それとも神主なのか決めようのない服装や行状をとっている。

修業の場が古来からの山岳信仰の中心的名山であるところからは神道の一派のようであり、

京都の天台宗聖護院と真言宗の醍醐三宝院がそれぞれ本山派と当山派の本山と仰がれているのをみると、

仏教の一流派ともいえる。また、民衆の側からいえば、山伏とはいろいろの呪術や祈?で病気を直し、

悪事災難を逃れさせる験力のある修行者と考えていたし、山伏自身もそのように振舞った。

そして、その呪術の大半は陰陽道のマジックと同様であったので、その意味では、陰陽道の分派とも受けとられていたのである。』



頷ける部分が多いかと存じます。


振り返りますと、両親がよく山岳信仰の山に連れていってくれました。

10歳くらいから、鮮明に、緑の息吹・清々しさ・オーラに惹かれました。特に、眩い新緑の時節は、今でも瞼に素直に焼き付いております。


やがて、恋人と手を取り合って行くようになり、・・・

ビジネスの世界に入ってからは、社用車でギリギリまで付けて頂き、大きな護摩札を焚いて頂き、いつも奥の院で、お酒と御膳を振舞われました、・・・



絶対者を神とすれば、 ”(以前(2013年5月))” も記しました神人共食の世界で御座いましょうか。


駄作を幾つか挙げておきます。


夜もすがら 衣手寒し 高野にて 冴えかえ渡る 魂魄の剣


紫の 御法の音色 雲居超え 我が法性を 呼び覚ましてや


玄気充ち 五蘊は虚空に 皆空や 光輪放つ 扶桑の郷




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