スペシャルコンテンツ >> 顧問コラム >> 『風月無尽の無何有の郷(松風亭 雅山)』
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ツイート | 2014/12/1 | 松風亭 雅山 |
森三樹三郎先生が、「無」の思想 老荘思想の系譜の中で、荘子の雑篇の中の則陽篇にある非言非黙にふれております。
極めて秀逸な奥深い言葉の数々が続き、40年以上前に初めて読んだ際に、荘子への傾倒が計り知れないくらいに深まりました。
『・・・人間の言葉は、ありのままの真理をあらわすに不適当である。そこに荘子の「弁ずるは黙するにしかず」(外篇 知北遊篇)
という主張も生まれる。
それでは沈黙を守ることだけが、真理を伝える唯一の道なのであろうか。
・・・沈黙は言葉に対立するものである。たがいに対立するものは同じ次元の上にあることになる。
言葉が真理を伝えることができないとすれば、沈黙もまた真理を伝えることができない。とすれば非言非黙のみが、残された唯一の道である。
それでは非言非黙とは、具体的にどうすることであるか。それは言葉を用いながらも、言葉にとらわれないことである。
・・・禅宗風にいえば、言葉は月をさす指であり、月のありかがわかれば、邪魔になる指は切り捨てるがよい。』
師走の澄んだ寒空に浮かぶ月に向けた指を寒さで衣の袖の中に隠すイメージで御座いましょうか。
指月庵の名を持つ風情、趣溢れますお店も多いですが、今宵は、荘子の宇宙に想いを馳せながら、指月庵で熱燗と参りたく思います。
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