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風月無尽の無何有の郷

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2014/5/1 松風亭 雅山

<<< 楚辞への想い >>>


風薫る五月に所縁の深い屈原、


その屈原と共にあります楚辞について少しふれてみたいと思います。

神と人間の距離などに少しふれました際 ”(丁度1年前の2013年5月)” に引用しました詩経の後の詩の古典として、揚子江流域の強国の楚から生まれたのが楚辞ですが、

幻想的で神秘主義の色濃く、昔より強く惹かれております。


揚子江流域の南方シナ精神について、岡倉覚三は有名な茶の本の中で、次のように記しております。かなり、大胆な展開ですが、頷けるところも大であります。

『・・・中国はその広漠たることヨーロッパに比すべく、これを貫流する二大水系によって分かたれた固有の性質を備えている。揚子江と黄河はそれぞれ地中海とバルト海である。

幾世紀の統一を経た今日でも南方シナはその思想、信仰が北方の同胞と異なること、ラテン民族がチュートン民族とこれを異にすると同様である。古代交通が今日よりもなお

いっそう困難であった時代、特に封建時代においては思想上のこの差異はことに著しいものであった。一方の美術、詩歌の表わす気分は他方のものと全く異なったものである。

老子とその徒および揚子江畔自然詩人の先駆者屈原の思想は、同時代北方作家の無趣味な道徳思想とは全く相容れない一種の理想主義である。・・・

道教思想の萌芽は老?出現の遠い以前に見られる。シナ古代の記録、特に易経は老子の思想の先駆をなしている。しかし紀元前十二世紀、周朝の確立とともに古代シナ文化は隆盛

咲き誇ることができた。老子荘子は共に南方人で新派の大主唱者であった。・・・』


さて、楚辞は、多くの作品(17巻)から成りますが、その中で、多くの説がある中、離騒、九歌、天問、九章、遠遊、卜居、漁父は屈原の作だと称せられることもあるそうですが、

断じきれないとも言われてますし、楚国の豊麗な詩形を縦横に駆使して、屈原とその系統の人々、信奉者が楚の国に伝わる(源流的な)巫の歌、伝承、民歌などを

纏め上げていったという記述も多く見られます。


幻想に溢れ、浪漫的で奔放、華麗絢爛で複雑な多様性を有し、スケールの雄大な作品の数々とも併せ、楚辞への想い、楚辞の神秘と浪漫は尽きません。




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