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風月無尽の無何有の郷

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2013/9/1 松風亭 雅山

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秋の七草と言えば、萩、尾花(薄ですが、動物の尻尾の毛のようなので尾花と言うとか)、桔梗、撫子、葛、藤袴、女郎花(粟花)ですが、秋に草冠を付けた萩(Japanese Clover、Bush Clover、Japanese Bush Clover)は、正に、秋を代表する植物の一つで、古来、歌などの題材に多く取り上げられています。


Melancholic で薄暗く鮮烈な絵画のように印象的な永福門院の


真萩散る 庭の秋風 身にしみて 夕陽の影ぞ 壁に消えゆく


など、好きな歌です。


実朝は


萩の花 くれぐれ迄も ありつるが 月出でて見るに なきがはかなさ


と詠んでおりますが、数十年前より、何故か、『・・・なきがはかなき』と、無意識に覚えております。


そう言えば、余談ですが、昔、毎週のように仙台で買っていた銘菓萩の月は、確か、機内菓子として、昭和53年に誕生し、翌昭和54年9月から一般販売され出しました。 宮城野は、萩の名所で知られておりますが、咲き誇る萩に仲秋の名月が掛かったイメージで御座いましょうか。


秋の野が出たところで、拙い句を一つ


山粧い 不知火立ちぬ 秋の野に 乙女の素肌 温もり優し


また、話を実朝に戻します。実朝の秋の歌の中でも、


流れ行く 木の葉のよどむ えにしあれば 暮れての後も 秋の久しき


が、最も好きで、身震いを感じるほどの浪漫と郷愁を覚えますが、


・・・秀歌の生れるのは、結局、自然とか歴史とかという・・・
比較を絶した巨匠等との深い定かならぬ「えにし」による。
そうゆう思想が古風に見えて来るに準じて、歌は命を・・・


と小林秀雄氏は書いておりますが、大昔に読んで以来、大変感慨深く思っております。


大袈裟に言えば、結縁灌頂までも想起致しました。


一方、全くの卑近な話ではありますが、女流作家 Elizabeth Gilbert の Your Elusive Creative Genius のプレゼンを偶々垣間見たことがありますが、ここでのGeniusの捉え方が、
上述の「えにし」に近い事、古典的な私の考えに近い事に気付きました。
(神話から始まります語源も含めまして、この言葉に対する御話しは枚挙の暇も御座いませんが)
西洋では、ルネッサンス以降、あまりにも人間復興を叫び過ぎ、神との距離を置き過ぎ、
自我による集中・努力のみに頑なに拘ってきた感があります。


5月にも少しふれましたが、神と人間の距離も、潜在的に予てより興味の深いテーマの一つで御座います。


マルチ/メニーコアの偉大なるアーキテクチャーが生まれるのも、深い定かならぬ(Elusiveな)「えにし」に よるようにも思えます。


華厳で言う重々無尽の縁起、事々無碍法界の世界にも一部通じる「えにし」なので御座いましょうか。




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